体と心の疑問こどもと親の25時
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「ちまちま2004」

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 はじめに  「この名前を私が 最初に聴いた日」
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わたしが最初にこの言葉を聞いたのは とある医療研修機関に
在職していたときでした。

職場は「子供の病気」の為に、仕事をやめなければ
なりませんでした。ですが職場にいたときから、すこしづつ子供の調子が
悪かったのですが、医者に行き「風邪です」という言葉だけを
信じていましたが、さすがに1ヶ月に半分以上が風邪というのは
ありえないことと感じていました。それで 医療関係の本を図書室で
読んで 「不登校」などのことを学んでいました。そのとき、なんか
長くて覚えられない名前を見ました。その言い回しは「アレルギー性なんとか」
という単語のように 訳のわからない名前のため そのときで忘れていました。

さて、その職場を出てから、もう大丈夫だな と ふとやすらぎを感じていたと
きに 
下の子のことで ある方お母さんから電話がありました。
「なんか お子さんが このごろ 急に怒りっぽくなったり 
 泣いたりしてるんだけど」
それから しばらくして 朝に交通整理の方に連れられて帰って来て
「お子さんが 道で苦しんでいて 歩けないから 連れて来ましたよ」
と言われました。
それからは、よく学校で「お腹が痛いそうで」とか自分の携帯に
掛かってくるようになってきました。
また 学校ばかりでなく 放課後友達と遊んだ後 苦しみだし
お隣で 背中をさすられていることもありました。
ただ この症状が起立性調節障害(OD)とは 全く
思い当たりませんでした。


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題名 「こどもの小児科での診断」
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「起立性調節障害」と診断されたのは 子供が小学校低学年のときでした。
診断前まで 言葉は知っていたのですが、自分の子の病気とは
全く 結びつきませんでした。今回は 小児科のお医者さんのところで
診断されるところからです。

その前に 少しカウンセリング的なことを書かせてください。
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「カウンセリング的な言葉の使い方」

カウンセリングの中で 相手を受容するのが大切であると
表現します。
具体的には 「受容」とは どういうことでしょうか?
相手の言葉を そのままに受け入れることです。
それにから ラポール(信頼関係)が生まれます。

お子さんとの 普段の言葉のキャッチボールは うまく言っていますか
もしかして こんな言い方はしていませんか 

「お腹が痛くて 苦しくて たまんないんだけど」という言葉に
「でも お腹が痛くてと 言っても そんなの通用する」なんて言ってませんか

まず最初に 子供の言うことを聴きましょう
「そう お腹がいたいの それで」そう子供に言葉をつなげさせましょう。
どんな症状か 知りもしないで「でも そんなことでは」
それでは お子さんは お母さんのことを信用しては くれませんよ

また お医者様に行っても
「お子さんは どんな感じで」と訊かれたら
「そう それで たまんないんですって」としか答えられませんよ
自分の子供でも どう大変かは わからないんです。
これは わたしの反省からなんですが

よく あるお母さんから「腹が痛かったら 保健室で がんばれ」
という言葉をききましたが
小学低学年には そんな体力は ありませんでした。

人の言うことが真理かどうか それは、わかりません。
やはり この病気のときはお医者さんに通うが 基本だと思います。



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題名 「こどもの小児科での診断」

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 ある日 小児科のお医者様に 言われたのです。
「お子さんは 起立性調節障害です。」と

あの日 私と子供は 

「なんか具合が悪い 腹痛のようだし 風邪のようだ」
と でも低血圧ということは 充分わかっていました。

「いくつかの問い」 と血圧関係の診断を受けました。
(その内容は HPの「診断」のことが書いてある通りです。)
そのとき わたしも 「子育て」に心底疲れていました。
「子供は予想外にヨレヨレでした。」

「お子さんは 起立性調節障害です。」と
お医者さんに言われました。

「低血圧の薬と 漢方薬を 飲みなさい」ということと
「子の病気は 薬を飲めばある一定期間で 治るだろう」
という話でした。

知り合いに「お子さんは 起立性調節障害です。」と言われた話をしたのですが

「昔は 栄養不良で よく女の子が倒れていたでしょ インスタントをやめ
 こどもに 血行の良くなる人参食べさせなさい」・・・1

「お子さんは 顔が白いのは 外で遊ばないからだ。外で遊ばせない
 のは 過保護な証拠。 あなたが 子供を、、、 」・・・2

「そういうのも ほんの一瞬 こどもが大きくなると
 知らぬ間に 治っているものよ。神経質すぎ 神経質は、子供に負担」・・・3

「エアコンとか ばかり あたっているからだ。たまに汗をかけ」・・・4

など

親に対して 「どうしたら良いか」というより 非難とだんだん聴こえてきまし
た。

あなたのお子さんが「起立性調節障害」とわかってから 
どう周りの方に言われましたか???  ・・・ 1.2.3.4 どれが正解は???


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題名 「1番から4番までの体験的検証」

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子供が 最初にOD(起立性調節障害)らしい症状がでたのは
5月のことでした。わたしも不安でしたが 子供本人は
どんなに不安なものか 診断が出てからは 毎日かばんのなかに
薬が入っているかどうか確認して と言う毎日でした。
風邪ではないので 薬を飲んですぐ効くというものでは
ないのです。 日がたつにつれ 不安です。

小学3年生ということで ひとりで保健室はたして
大丈夫なのか いろんな疑問でも でも ひとつだけ はっきり
しているのは こどもが「学校で お勉強したい」

毎日 毎日 がんばるのですが 昼まで もたなかったのです。
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「こどもの希望とは何か」

こどもの作文で よく「将来は」とか「天職は」などと
よく見かけます。

これは もちろん親の言い回しとは違うようです。
親は子供に
「立派な人になれ。それには有名校に入り、、、。」
と言う考えがあり それだけのために子供の全時間を縛りつけようと
する親もいるようです。(テレビなどでは)

でも子供は「立派な人」ではなく「タレント」だったり
「パン屋さん」だったり いろいろです。

大人が子供を 約20年かけて「大人にしてやろう」
という気持ちとは違い。子供の将来の夢や希望は 刻々と変化しています。

その刻々変る「いい加減な希望や夢」は また子供の強さでもあります。
長くかかる病気になったら 子供の夢はどう変るでしょうか
いったい夢を運んでくれるものは 何なのでしょうか?




さて そこで 本文にもどります。
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題名 「1番から4番までの体験的検証」

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ある日 小児科のお医者様に 言われたのです。
「お子さんは 起立性調節障害です。」と

それで どうしたら良いか相談したのですが

1.「昔は 栄養不良で よく女の子が倒れていたでしょ インスタントをやめ
  こどもに 血行の良くなる人参食べさせなさい」

  今は昔に比べインスタントやコンビ二弁当が全盛。でもわたしは
  朝と晩は 自分で作っていました。子供も「おいしい」と食べていたし

2.「お子さんは 顔が白いのは 外で遊ばないからだ。外で遊ばせない
  のは 過保護な証拠。 あなたが 子供を、、、 」

  よく学校から お知らせがきます。「不審者が でました」
  この状態で 昔のようには遊べるだろうか? 

3.「そういうのも ほんの一瞬 こどもが大きくなると
  知らぬ間に 治っているものよ。神経質すぎ 神経質は、子供に負担」

  たしかに神経質かもしれませんが 「子供を守ろう」その気持ちで
  一杯なんですけど

4.「エアコンとか ばかり あたっているからだ。たまに汗をかけ」

  これは テレビとかインターネットでも 良くあるのです。
  私のうちでも一応あります。でも 子供は、帰ってくると
  よく疲れて寝ていたのですが エアコンをかけることもなく
  汗びっしょりかいていました。 

    ・・・ ものすごくいわれましたが因果関係 ゼロ

とにかく これらから 解決策を導き出すことは ありませんでした。
それで インターネットをしらべ お医者さんに訊くと
「インターネットは 正解かどうか わかりませんよ」
すごく まともなことですが でも何「気になる記事」が ありました。




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「気になる記事」について

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その前に こどもの夢を与えてくれるのは 誰でしょう???


「夢を運んでくれるものとは何か」

これはテレビでしょうか 本でしょうか
カウンセリングの本や 実際 学生さんなどから お聞きすると
小さいうちは 「夢を与えてくれる人」が いるようです。

その人は 外国語を話せたり 木からなんでも作る大工さんだったり
こどもは そういう人の実体験から来る話を大歓迎しているのです。

「人との出会い」これが 夢を運んで きます。
こういうことが 子供の生きがいにも繋がります。


次iから  本文
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そういえば お医者さんに 診断されたときは どんな感じ???
と ・・・

「動こうと思い 次の動きをしようと思うと 膝から下が
 テレビのおばあちゃんのように 曲がって それが動かなくなる」

あんまりあてにならないと言われたインターネットなのですが
あるスポーツ選手が「起立性調節障害でしたが陸上の練習をすることで
克服しアスリートとしての道を歩んでいます」という記事が気になりました。

でもうちの子は「練習」歩くのに精一杯なのに 何ができるのでしょうか

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題名 「練習らしいことをしてみよう」

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うちの子は「練習」歩くのに精一杯なのに 何ができるのでしょうか

それでも「練習らしいことをしてみよう」そう考えました。

ただ 言える事は 

1.夜は危ないから朝早くできること。

2.なるべく毎日すること


朝日があがる少し前 時間的には 午前6時20分前です。

こどもは 負けん気は強いので 起き上がって着替えするのですが
「じゃあ 走ろうか」と言っても 当然 走れないのです。
こんなに走れないものか びっくり しました。朝から 憂鬱な初日でした。

練習らしいこと その意欲は 途中で 失望に変わりました。
「走れないんだ、なら 歩こう。」でも 駄目でした。
いつの間にか 朝は地獄の時間になり 子供は歩くだけで
息をきらせていました。

なにごとも無理は だめかな

頭の中では 自転車で 子供のあとについて走る姿だったのですが
残念です。

いままでを振り返ると こどもも急に背が伸びて 足の筋肉が
ついていかなかったかな と感じました。

それに大人でも 試合の前に 急に練習して アキレス腱を切ったりするわけで
急に何かを はじめるには すこし弱めながらはじめなければなりません。

例えば いきなり難しい問題より 例題から はじめるとか
勉強するときのように 
それで また 練習プランを直しました。


あらためて うちの子は「練習」歩くのに精一杯なのに 気づきました。
つまり 学校まで行くのも やっと 帰るのも やっと

  朝ばかりか スタミナがなく 帰りも 真っ赤な顔で 吐きそうになっていました。 




5月に「起立性調節障害」と 診断されて 梅雨が過ぎ
もう7月になっていました。そろそろ暑くなります
そこで こどもの上着は フード付の袖の無いものにしました。

ある説に よれば 
「人間の体内時計が狂うと睡眠障害などを起こす 
それを リセットするには 朝に 両腕の手首内側に
朝日をあてることが大事だ」ということですが
本当に 腕の内側が 光を感じるかは わかりません。

こういうことを書くと ある医療機関では 鬼の首を取ったように
「メルマガとかHPで 馬鹿さらしてるんじゃない」という姿が
目に浮かぶのだけど   ・・・  アホだろうと なんだろうと
良くなってもらいたい。 良くならない限り 家族の助けのない
家庭には 明日がない  


まぁ迷信でもなんでも 「これをしたら よく眠れる」と
こどもに言い 早朝でて 体が暖まったら 腕をだそう
そういうことにしました。

そして わたしは ついでに すこし走ることにしました。

こうすれば 子供の為と言うことより 自分の為しているのですから
「あなたのため」ばかり 朝早くから言われれば 子供も たまらないので
一緒にしてる    ・・・  ぐちはでないわけです。

そんな 親子の間の 「朝のきまり」を作りました。

朝早く 起きるのですが それでも やはり 学校で午前中、持たない日
が あったのです。お腹がいたかったり 歩けないなど

それどころか うちの子を 職員室で 授業途中迎えに 行くのが
もはや 常連さんに なっていました。

それで わたしたちは 取り決めを作りました。
「育ち盛りの食事は大変 だから給食を食べるまで 
 なんとか がんばってくれ  

 あと 迎えにいくから」
うちは 私以外 大人はいないのですから  午前中から呼ばれたら
何もかも アウトです。

・・・  こう書くと  「施設に 預ければよいのよ  知らないのね 馬鹿ね」
でも あきらかに 病気で親を必要としている こどもを素直に 預かるだろうか?

というか 「ひどいから 施設で 1日面倒見てくれ できれば 治るまで」
なんて 言ってもいないのです。  ・・・  どこのお母さんだって
「うちの子 ひどいの」といっても 「だから 施設ね」なんて 言う人も
実行する人も いないのではないですか ???





「本当は 保健室で ずーつと過ごせるのよ」ある人は当然そうに
いうのですが
まだ小3の子供は 良くなったとしても自分で帰る事は、できませんでした。
焦るのですが こどもは もちませんでした。でも、なにもせず家に
いるのも できませんでした。子供が歩いて学校まで20分
重荷でした。

わたしが迎えに行くと 子供は不安そうに 待っていました。

そういえば 子供の楽しみがひとつ なくなってから
こんなにことに なったな そう思い出しました。

ただこれが 原因で こんなになった訳ではないと思いますが



子供の楽しみがひとつ なくなってから
こんなことに なった そう思い出しました。
ただこれが 原因で こんなになった訳ではないと思いますが

ずいぶん 回りくどい言い方ですが
こういう言い方も たいがい 子供のことで いろんな宗教のひとから
「こういう風になるのは 親が悪いんです。親の理解のなさです。無知なんですよ 」
と 身近な人に言われると 辛いんです。それで 余計に 回りくどくなる。

「親のせい」という その人は 本当は 「私を 手伝って」というべき人なのに
この言葉を吐き さも自分が偉い 悟った人間のように 鼻高々で 高みの見物
をしている    ・・・     そう感じました。

でも 後で考えると 解決できるのは 神様でも 天使様でもない
手を下すのは 張本人のこどもと そして いつも 側にいる 私以外にいない。

そういう私に対して 「おまえが 気づかない のがいけない」・・・ なに それ
宗教とは 人を追い込む道具なのですか???

でも そういう形ばかりの神ではなく いつも心の中の神に  祈っていました。
それに 時間があれば 神社に こどもと二人 お参りしました。
「はやく よく治りますように」
でも 半分は わたしのヒーリングでの 「手当て」で 急場をしのぎました。

たぶん 子供の病気が 治ると 宗教の身内は
 「このわたしが 神仏に お願いしたから 治ったのです。 だから あなたよりえらい 」
もう 馬鹿でもなんでも良いのです。  とにかく 手当てして ・・・  対処

現実対応 宗教心ゼロ


実は こどもが不満があったのではないかと もちろん私のうちでも
いろいろな問題が 山積してるのですが 実は 自転車が 壊れて
使えなくなったのです。それも、1年で急に大きくなったので
直しても 乗れなさそうなのです。

なぜ自転車を買わなかったか と言うと 

それは 私たちに 良くない事が これからも あると必ず口にするのです。

なので わたしも子供も 
「亡くなったひとが 自転車の事故を察知して 自転車を壊れるようにした」と
だから とにかく 自転車について 「危なくないか」とシツコイのです。

それで 買わなかったのですが いつも普通に歩けないのですから
自転車で なるべく外にでる 自転車に乗る しか考えつきませんでした。

それにしても 「悪いことが起こる」 そればかり言う

「あなたの顔は 真っ青」と 集団でいい 相手に 暗示をかけるのと似ています。
「悪いことが起こる」「・・・ で 亡くなった人が守り 教える」
つねに 現実の判断を回避して ・・・    

精神科の先生から 妻が亡くなったあとのことで言われたのは
「むやみに ない 供養もやり過ぎてはいけない」ということでした。

 「供養をやらないと不幸になる」
と強要され ところが 供養のたびに 精神的に駄目になりました。
最後に わたしたち残された家族が 全員 精神的に参り
お医者様の言われた 弊害が出て 大変なことになりました。
(それでも 「供養して 大事にならなかったから 感謝しろ」といいたいらしい)

病気がひどくて もうそういうことは 一切切り捨てにしようと
わたしたちのような「シングル家庭」は 
生きてるだけで幸せで 亡くなった人達の為にも まず幸せのシグナルを
天国に送れるように 安心されるように この世界で まず 私たちが
しあわせになろう、、、と そう考え 思いついたことをやる
そう方針を転換しました。

自転車を買おう

これから供養はするけど 大げさに 死を強調するような式はしない
「亡くなった人への愚痴は やめよう」と家族の前で誓い

「話したら百円貯金」をスタートさせました。最初は 話ては 
いれで貯まったのですが それも 貯まらなくなり その貯めたお金で
「折りたたみ式の自転車」を買いました。

これだと 子供の体にも合わせられるし 私にも合わせられるので便利です。
わたしの仕事にも使えるし それで 二人で練習らしいことを 朝するかと
言うことになりました。5月に発病して もう6月も過ぎ
こどもが汗をかき 苦手な夏が もうすぐ来ます。

わたしたちは 子供が自転車に乗り わたしが 脇を走り
公園を廻りました。


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「起立性調節障害」と診断されたのは 子供が小学校低学年のときでした。
診断前まで 言葉は知っていたのですが、自分の子の病気とは
全く 結びつきませんでした。今回は 小児科のお医者さんのところで
診断され、どうしたら良いか戸惑い ある記事が 目に 入りました。
それは運動選手のはなしでした。足の筋肉を鍛えるでも
歩くのも大変でした。「自転車」で 足をきたえよう
そうおもいました。

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 「自転車のことについて」 


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「折りたたみ式の自転車」を買いました。

これだと 子供の体にも合わせられるし 私にも合わせられるので便利です。
わたしの仕事にも使えるし それで 二人で練習らしいことを 朝するかと
言うことになりました。5月に発病して もう6月も過ぎ
こどもが汗をかき 苦手な夏が もうすぐ来ます。

わたしたちは 子供が自転車に乗り わたしが 脇を走り
公園を廻りました。

公園で朝練習するようになってから こどもは 変わりました。
ウオーキング中のおじいちゃん や おばあちゃん に
しっかり挨拶するように なりました。

朝日が 昇る1歩前のなかで 公園をまわることが 始まりました。

「なに そんなこと簡単でしょ 遊びでしょ」

と思われるでしょうが
これが 大変でした。 1周廻る前に なんども息切れで やすみ
「このままでは 学校が 始まるのでは」と思えるほど
最初は 時間をかけていました。

これは 冬も続き 暗いので点滅するランプなど 装備して
てぬぐいを 親子ともども首に巻いて 必死に 自転車をこがせました。

自転車は ある程度効果は あったのです。
こういうのは継続が 大事です。

スタミナがつき 下校時に苦しむ問題は なくなったもですが
朝は まだ登校が 大変でした。
しかたないので 

学校のある間は 時間帯を変更して 公園をまわり そのま自転車で学校へ 行くように
しました。
「自転車通学」は  許されては いないので 学校に着けば わたしが 
折りたたみ自転車の椅子をあげ 乗りました。

それでも すこし変な歩き方をして 疲れているのに
気づきました。


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 「歩くことについて」

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こどもが すこし変な歩き方をして 疲れているのに
気づきました。

「歩くことについて」について 考えましょう。

人は 2本歩行の動物です。これは 非常に難しいメカニズムが
だそうです。キリンは あの長い首のお陰で 高いとことの葉を食べられて
生き延びました。人間は 2本足歩行することにより 手が自由になり
道具を覚え 文明を築いたのです。

でも キリンの首と同様に 2本足歩行は 血圧調整を 歩行するとにき
しなければ なりません。例えば 4本足であれば 1メートル以内の高さで
済むのに 人間は 直立することにより2メートル近い 血の流れを 
制御しなければなりません。(キリンも 大変ですが ODは あるんでしょう
か)

「歩く」当たり前なことで わたしたちは 親として 喜び 発育のあかし と
みます。

それに 人間は 靴を履くのです。

その靴なんですが お子さんの靴が 合っているかどうか 確かめていますか?


実は うちの子が 足を引きずり始めたのです。どうしてかな と思い
靴を見ると 靴底が 小指側が妙に減っていました。

靴のせいで 歩きづらかったようです。

そう言えば こんな話を聞きました。
意志の強い人は 靴底の親指が減ると 

ちょっと うちの子は 気持ちが 小さくなっていたかなぁ

靴を買い直しました。
減り方が 偏った時には 「靴敷き」を入れ替えしました。
履いているうちに くちゃくちゃに なっていました。

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「子供の具合が悪いときの 風水」について

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まぁ あのころの私は 「なんでもしてやろう」と感じていました。
だから 子供が長引く病気であれば 家庭の事情もあり 
なんとしても よくなってもらわねば と

でも 風水は そんなときに 良いんです。 と いっても
年末年始に 置物を買うばかりが 風水では ないのです。

掃除をして ぴかぴかに することも 風水なのです。
ですから こどもの部屋が ため息をつくほど すごくとも
とにかく 片付け 庭が荒れれば 草むしりをして 
これで 良くなるのではないかと

実は 北の方位にあるトイレの排水(下水)が 駄目になったとき
こどもが 病気して学校へ全く行けなくなり そのとき 
風水ショップで 詳しく話をきいたり
それから こういうものに 関心がでたのですが 
詳しくは ブログで

http://tb.plaza.rakuten.co.jp/morisen3/diary/200503050001/

ところで ある占い師さんが 娘さん(うちのこどものこと)は「西」で
というのですが ですが そのとき西側の部屋で調子が いまいちなので
太陽の上がる東(うちの部屋の方位は 南東)に 移しました。

朝はやく 起きて手伝いをしてもらっています。
「西」は 木の実でも熟するときなので うちのこは まだまだ
育ち伸びるの 「東」が 良かったわけです。

すぐすぐ 占い師と同じでなくても良いわけです。
「東なので 太陽があがると 目に見えなくても太陽の光が
 部屋に 真っ先に 降り注ぐのでしょう」
また そんな風に 寝る前に こどもに 言い聞かせるのです。

だから 部屋を散らかすようなら 「風水では、、、」とか言い
あまり自分の感情で 怒るのは 良くないのです。

どちらにしろ 散らかっていて 損するのは自分なのですか  

つまり 家事を目的あるものとして 考え積極的に こなせば
おこさんも その姿をみて 感じるところが あるわけです。


治るヒントならなんでも書きますが
実際にするかどうかは 判断は ご自分で されてください
ただこれらを書くのは 悩んで 子供に愚痴っぽくなるよりは
良いのでは と 思うもので
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「起立性調節障害」と診断されたのは 子供が小学校低学年のときでした。
診断前まで 言葉は知っていたのですが、自分の子の病気とは
全く 結びつきませんでした。今回は 小児科のお医者さんのところで
診断され、どうしたら良いか戸惑い ある記事が 目に 入りました。
それは運動選手のはなしでした。足の筋肉を鍛える
でも 歩くのも大変でした。「自転車」で 足をきたえよう
そうおもいました。それで 自転車で学校まで行きました。
靴の減り方で いろいろなことを学び反省しました。
また風水について中国人の方からもアドバイスをうけたり
学びました。パワーストーンについては 願いをいれる方法は
多くの本や 人に 学びました。 

この 風水とパワーストーンは 子供との生活以外にも
参考になるかもしれません。



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 「パワーストーン」について

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パワーストーンなどを 誕生日にプレゼントするのも 良いです。
これは 自分の拠り所になるからです。

本当に パワーがあるかどうかは 別としても 壊れるものでも
すぐ飽きられて ごみになるものとは 明らかに 
性質が違うからです。

子供は こういう状況で 他の人といろんな面で競争できないことに
絶望を感じるかもしれません。そういうときは
「あなたは オンリーワン」と 諭さなければなりません。
パワーストーンは 単なる石ですが 出会う人の為だけに
存在しているのです。ですから そういうことの大切さを
お子さんに伝えたらどうでしょう。 

パワーストーンは相性がありますから
お店の人任せではなく 自分で 石の先端の尖った部分に
手をかざし 良い感じなものを 選んでください。
買った物は 太陽の光をあて 流水で洗い 浄化して
最後に お願いを入れてください。

お子さんと一緒に 願いを入れるのも良いでしょう。
入れるときは 体や心のクリアなときに 入れましょう。
一人で入れるなら 胸の前で 気持ちを移すような感じで
されるか お子さんと二人でと言うなら 石を 机の上に置き
二人で 言葉にして 言いましょう。

その際 すこし本格的な技を しましょう。
親子の思いを 石の中に 入れる「おまじない」です。

といっても あまりに有名なのですが 螺子を抜く方向に
手を石にかざしまわしてください。

そして お祈りください

あとは 螺子を締める方向で 手をまわします。 

このあとで 石が「しゅっ」という感じが出れば 成功なのですが
(簡単そうで 難しいから プロが いるのですよ)

この方法は 以前よりある方法です。
でも あるかたによれば秘術と言う部分かもしれません。
それほど 効力が あります。
微妙に 各派が 違うので 公表されたネットの先人に従い
こういう書き方にしました。 

結果は どうあれ やりかたは プロ並かもしれません
すこし このメルマガを読んで 良かった と言われれば
幸いです。

つぎは 「夏休みの一こま」について です。
わたしの子供が5月にODと診断され もう夏休みになりました。
それからです。 

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風水や パワーストーンについて書きましたが
「そんなものは 全く関係ない 単なる迷信」とするいう方もあるでしょう
ただ 人間は 「わたしでなく誰かに 心を動かされることもあるでしょう」
そのひとが 悪意であれば 当然 相当な値段のものを 押し付けるでしょう

でも わたしは 経験からすると 「高ければ絶対に効果がある」と
いうものではありません。わたしは そういう風水やパワーストーンの最後に
あるところは 親子間の愛情だと思います。ところが そういうものに
特定の神様や仏様が 絡むと家庭生活が 大変になるのです。
そういう関係の団体の活動に「参加するだけで治る」と説明され
毎週のおやすみが疲労だけで終われば 良いことはないと考えます。 

実際 「こどもの病気は私が治す」と言う いろんな団体や人々が
いるのです。だから こういうスピリチュアルな話にも 慣れておいたほうが
良いと考えるのですが どうでしょうか?

わたしは このメルマガで 言いたいことは「起立性調節障害」ということに
親は親として自分の考えを持って接しようと言うことです。

こういうポイントを 別の世界 別の次元 どこかの団体の意見に
左右されてはいけないのです。

もし神様の意思があるとすれば 「おこさんの障害や悩み」
まともに 向き合って欲しい ・・・ 人間の進化成長を 喜ぶ神なら
そういうはずです。


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 「夏休みの一こま」について

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夏休みに なった。
私の家庭では 心配事がある。それは 学校に行かないので
わたしが外に出ている間 大人が誰もいない 体調不良が心配
ということだ。
学校なら 保健室や先生が いるけど 完全に こどもだけになる。

起立性調節障害になる前の年の夏休みこと

風邪ですこし具合が悪かったのだが 朝 微熱だったので
昼 家に戻ってから 医者に行くことにして 医者に予約を
とっていた。でも 心配だから ちょくちょく 車から
携帯で 電話を入れていた。

「大丈夫」 「大丈夫」 と繰り返され 最後は 迷惑そうに
途中で 電話を切られた。家に帰ると こどもが真っ赤な目で
出てきた。すごい熱だった 予約の時間に なっていて
医者に行った。即 「点滴」だった。小入院みたいな感じで
数本の点滴を入れ替え 付き添った。

だから こどもの「大丈夫」は ちっとも信じられなかった。

ましてや 夏に弱いこどもは 今年 起立性調節障害も 抱えている。

とにかく 朝のメニューをスタートさせた。
5時起床し 公園まで 自転車で そして公園で いったん
朝日を 二人で 浴びる。神社で柔軟 また 自転車。

家に帰ってきて それからラジオ体操 そして ごはん

だから お昼ころ プールがあるころは 疲れて 寝ていた。

日差しの強い日中は 外に出なかった
でかい麦わらの帽子を 買ってあげた。

とにかく すごい雨の日以外は 自転車で走らせた。
学校でスタミナを消耗することもないので自転車で 
はやく走れるようになった。

プールは 1回だけ
肌の色 白く
夏休みが 終わり
辛そうに お道具を持ち また 学校が はじまった。
ひとりでは とっても もって いけなかった。  
そんな 「秋を迎えて」です。

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 「秋を迎えて」

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プールは 1回だけ
肌の色 白く
夏休みが 終わり
辛そうに お道具を持ち また 学校が はじまった。
ひとりでは とっても もって いけなかった。車で送り  
「だめかなぁ」わたしは こどもの背中が校舎に消えるのを
見つめていました。

このころになれば 先生に話 薬を飲ませていたので
「恥ずかしくて」飲まない こともなくなりました。
登下校だめ というのは なくなりましたが
学校での昼前の腹痛は多く 「すこしひどいので」と呼ばれると

保健室が児童の過疎化も関連してか なかなか
いつも 保健室に先生がいないので 呼ばれて行くと養護学級さんで
お世話になっていました。 

どうも いつも「お友達と普通に遊んでいて 倒れるらしいのです。

あるときなんか 学校でお友達と 遊んでいて 「足が動かなくなり」
かがみ込み 息も激しくなり 呼ばれて そのまま 車まで 
こどもを おんぶしていきました。

「そんな おおげさな」と言う声が聞こえそうですが
本に書いているよりは 数段 恐怖だと 思います。
やっぱり レポートとかいうのは 綺麗に書きすぎていると
思う そんなもんじゃない

急に 足が 縮こまり 動かなくなる  ・・・  大人でも こわくないかなぁ

よく 「不登校の原因」とすぐ言うけど 不登校というのは
「学校に行かない」ということだが 
これは 「行きたい」そして行くのだが 健康なのに
この症状のため「学級の中にいられなくなる」
不登校と違うのではないかと 考えるのですが

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「秋を迎えて」

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お医者様に行きました 意外でした。

「血圧が安定したので もう薬もいらない」
ということでした。

それで 「安堵したと言うか 本当かなと 疑問でした。」
でも 実際は 翌年の2月まで ひどい時期は 続きました。

本や テレビの健康番組は 「春から夏」というので
冬のことは 考えていませんでした。

ただ 私の子供は 女の子なので 女性的なものが
出て来て それが 安定しはじめると しだいに
「きもちが すぐれなくて、、、」から
「足が動かなくなる」まで の病的な経路は
無くなっていきました。

2月は わたしたちの家族の不幸な事件があった日
なのですが まだ 小さかった子供は 憶えていなかったはずなのですが
毎年 風邪とか健康を害することが多かったのです。

わたしは ここで いつも 「起立性調節障害」は 精神的なもの
ではないと ブログで言っていたのですが

自分のいっていることと逆のことを言っているかもしれません。

ただ 健康は精神的なことと関連していると
これは 全ての基本だと考えます。

ただ これが 「起立性調節障害」というものに子供が 罹るということが
「親の不始末でなる」という一部の方の考えでは 多くのこどもたちを
支援したりする考えもなかなか進まなくなる 思えますが いかがでしょう。

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 「親の不始末でなる」について

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お医者様に行きました 意外でした。
「もう薬は いらないのですが」やはり
大変な日が あるのです。

病気の薬もなくなったのですが 相変わらず
学校から 呼ばれます。
うちの子だけでなく 他の子供でも
泣き叫びながら 無理やり来る 子供たちも います 

「起立性調節障害」というものに子供が 罹るということが
「親の不始末でなる」という一部の方の考えでは 多くのこどもたちを
支援したりする考えもなかなか進まなくなる 思えますが いかがでしょう。
そう書きましたが 実は この気持ちをどう書いたら 理解していただけるか
疑問なのです。

まず 「こどもの調子が悪い」と言えば 
「そんなに 気にしなくても」「こどもさんへの神経質が余計悪くする」

でも 医者に「やっと」診断されて「病名がついてというと」
それなら 「お薬を飲めば」、、、と 当然のように 言葉は
オウム返しで来るのですが 

これが 学校などで 多くのお母さん
が 関わるうちに 「あのうちは、、、」ということで「母源病」
みたいなことを言われます。でも こういう説は 非常に危険です。

お母さんのうちには 本当に 子供を学校にださずに 子供と
ひきこもる可能性のあるひともいます。

学校は お友達として遊んだことも無いのに 名簿では いる子供が
いるわけです。この状態で 噂になると 「卵がさきか鶏が 先か」
のような無責任な噂がでます。「あれは 親が悪いから」
「子供が 外にでないからいけないそうよ」これでは 親も子も
学校には 出にくいのです。

よのなかで 「起立性調節障害母源病論」というのが あれば
それは 「親が同じような病歴があればでやすい」これなら遺伝的なものと
わかりますが

「テレビの報道」にあるような 親のホッタラカシ 親の甘やかし
などという 決めつけられるのは 大変いやだなぁ と感じるのです。

親が悪いから 「親が治せば良いのだ」これは こどもが自立するために
多くの人が 関わってもらわなくてはならない 問題なんです。

こどもの登下校毎日 付き添いはできかねます。
「毎日、、、関われないって 自分のこどもでしょう」 
こんな言い合いで 親すらも 本人はその気持ちはないのに
「親子引きこもり」のレッテルを 貼られることとなるのです。

テレビ報道は 春の終わり 新学期から こういう「親のせいテレビ」
を 報道します。これは 「要注意報」です。

すごく テレビのかの人は 納得しますが そんなことでは
よくならないですよ 「うそ」ですよ 1週間とかでは 治らない
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いままで いろいろなお子さんに会いました。中学校をでて
高校に入ることができず 不景気なせいか 若すぎるということか
働くこともできずにいた方の模擬面接をしたり 
それからキャリアカウンセラー の実習を兼ねて 多くの学生や
退職後のひとなどに会いました。

もちろん 自分自身も こどものことで なかなか出づっぱり
で 働くことも困難で、こんな生活になったのですが

自分のことや いままで面接やカウンセリングさせていただいて
悩んでいる人たちの願いは 「働いている社会の役にたちたい」こういう
むかしなら 当然の願いが いまはなかなか叶えられない 
そこおに不幸を 感じます。

「学校なんて なんの役にも立たない」と言っても やはり
学校にいかない時間 どう有意義に過ごせるか?疑問です

「起業(自分で働く)」と言うのは 自己管理が 
できなければなりません。

おこさんは 体調が悪いのは仕方ないし 教室にいられない
のもしかたない

 学校について行けないのもしかたないのですが
「自分の目標を期限をきめて こつこつする」そういう姿勢が
必要ではないか と思います。

自分で自分を律する つまり 自立することを 学ぶべきでは
と思います。

もちろん すこしづつで結構なのです。

わたしはブログをやっていますが アフィリエイトや オークション
で自分の趣味を生かしながら 稼いでいるひとたちのサイトを
発見します。自分の好きなことに他人を巻き込むような
こういう姿勢は 良いなぁと思います。
(実際は 変なところに行かないように 見守ることも必要)

そんな意味で おこさんの好きな趣味のブログを一緒に見る
というのは どうでしょう どんなブログが見たいか
こんな質問も良いでしょう。

ところで 「5月病」はゴールデンウィークのあとに
でます。うちのこは このころから ダメージが出ていました。
小学生のお子さんなら 「1日なにが あった」かどうか
聞くのも 大事な事です。

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おわりに

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実のところ こどもは がんばれるようになり
とにかく 早く歩くことに がんばりはじめ

すこし調子悪くなってくると
手を上げては 「ぶらーーーん」とする スワイソウ という気功
をマスターして 緊張感をとり

お友達のために 一生懸命 動き  ・・・

家に帰れば どうせ外では遊べないから 勉強をして 

休み時間 先生に 困るぐらい質問して

5年 6年 と 学級対抗のリレー選手に なりました。


あの 午前中 養護学級で 座っていた。
足が動かなくなり 大騒ぎになり 携帯電話に 
先生が 真っ青になりかけてきたのが    ・・・   嘘のようです。


結局 ホルモンバランスの関係からか 
「起立性調節障害」と 診断されてから  1年半 普通になるのに かかりまいた。

お医者様に通ったのは 半年 あとの1年のほうが 苦しかった。 

なんで まだ 「足が動かないと 呼ばれるのだろう」  

「治る治らない」 の別のところで 障害は ありました.


とにかく 良くなってくると   あのころの苦しみは 消えかかっています。


「ああ 思い出したくない」それで こういうレポートは 残らないのかもしれない。

それに 励ましのつもりで書いても

「なに馬鹿 かいてるのよ 医学的ではないは」  

・・・  いい加減 こういう構図  公共機関にいるかたは 辞めてくれませんか???

ということで ヒーラーでカウンセラーでヘルパーの私は 
まだまだ  いろんなことを書き続けるのです。

 






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